昨日祖父が死にました
祖父の死に向き合いたい。
死に向き合おうと思った時、何故か自分の死に姿を想像してた。別に死にたいとかそういう訳じゃない。思考回路がそっちに行ってるだけ。姿を見る前からそんな頭でぐるぐるしてた。実際祖父に会って、現実を受け入れようとしたけど、全然飲み込めなかった。現実逃避じゃない、心が置いてけぼりなだけ。心の処理に時間がかかりそう。死んでるのは間違いないし、すごく冷たかった。ただ、目をつぶってたから、本当に寝顔みたいだった。最後、心臓が弱って、肩を動かしながら口呼吸してたらしいから、口はあいてたけど、叩けば起きそうなくらいの顔だった。遠い記憶で、親戚の告別式でご遺体が近くにあったことはあったけど、顔は見てないし、幼かったからそこの家族の子供と2階で遊んでいた記憶がある。その家からワカサギ釣り用のビニールハウスみたいなのを借りたことがある気がする。家族で行ったワカサギ釣りは1匹も釣れたことはなく、帰りにそばを食べたのと、昼ごはん用に全員でカップラーメンを準備して行ったら、俺のだけワンタンスープだったのを覚えている。
話を戻そう。
祖父との最後の会話は特養での面会。
今年の1月3日、コロナ的なやつで直接触れられず、自分たちは建物の外、祖父本人は車椅子で施設の中に居て、ガラス越しにトランシーバーみたいなので会話するみたいな形だった。最後に握手したのは去年の5月か年末年始くらいだろう。いつも力強く握手してくれる。しわくちゃなのに元気で、笑顔もすごく良かった。誰にも、一度も言ったことないが、俺は祖父の笑顔が好きだった。当たり前に見れるものだったと思っていたけど、失ってから大事でかけがえのないものだと気づいた。今気づいてももう遅い。今後自分に出来る事は、今の人生を最大限楽しみ、生きることだと思う。耳が悪かったから、聞けなかったりして筆談になったりしていたものの、認知系の症状が出ず、普通の会話がある程度できて、ボケたり忘れたりそういった症状がなく、ある意味生前、周りを不幸にすることがなかったことが良かった。自分も死ぬなら認知系の症状は出て欲しくない。生きながら家族、人を不幸にするのはやだ。
自分の脳が憎い。元気だった頃の姿の記憶が無い。どんな服を着て、どんなことを話していたのか全く覚えてない。農業してた時、絶対に手伝っていたのに、その姿が全然思い出せない。今唯一ある記憶は、サツマイモ畑に行く時、兄貴と軽トラの荷台に乗って走った記憶くらいだろう。今やそのサツマイモ畑は鉄工所と食品工場が立っていて面影もない。
ある意味子供の頃、その姿が当たり前過ぎて、記憶にとどめようとも思わなかったんだろう。写真を撮ろうとも思わなかったんだろう。一生後悔するとはこのことだ。
親族の死は初めてだ。母方の兄弟が殺された時、49日の納骨に行った時が過去の1番死に近くで触れた場面だったが、ご遺体を見たわけでも、骨壷の中を見た訳でも無く、儀式をして、墓に収める1連を体験した感じだった。その時、幼稚園以来久しぶりに黒いモヤを見た。一般的に言われる幽霊。嫌な気が一切しなかった。お坊さんがお経を唱えてる時、祭壇の横、自分たちからみて左手に立っていた。亡くなった時、本人の両親に白い布のような姿で空に現れたらしいから、そういう強い方だったんだろう。警察からは自殺として処理されたらしいが、聞く話によると毒殺らしい。監視カメラにも人の出入りがあって、空の瓶がシンクの水に浸っていたという証拠があった上で、その犯人を探すのを警察が諦めて自殺として処理したらしい。世の中は物騒だ。画家であり、昔少し深夜テレビに出てた。直接会話した記憶こそあまりないものの、とても誇らしい。いつも母方の実家に帰った時に、飾られた絵を見る度に尊敬する。
いっそ、涙が出てきてくれればスッキリするのだが、じわじわと長く思い巡らせているために、悲しいという感情がずっと続いている。しばらくは抱え込みそう。清め塩を玄関に置かないようにしようかなと思うくらい、迎え入れようと思うくらいには悲しい。あと、自分が死んだら悲しませることになっちゃうから、絶対に死ぬのは最後にしようと思う。自分でコントロールできる訳じゃないけど、死ににくい行動することは出来ると思う。俺が入学した高校、本当に入ってくれて嬉しかったらしい、大学校に行ったのも嬉しかったらしい。俺が今いる会社も、直接言われたわけじゃないけど、ある程度誇ってくれたんじゃないかなと思う。仕事上ムカつくことは山のようにある。転職しようと思ったこともある。ただ、なんかぼんやりとじいちゃんのことを思うと、辞めることで悲しませるんじゃないかなと思えてきた。仕事への考え方、頑張り方も少し変わった。打倒先輩という気持ちから、祖父のために頑張ろうと少し思うようになった。今現在の気持ちだから、今後変わることもあるかもしれないけど、とりあえず今は、定年まで務めあげて、祖父の誇りになれるようにしたい。今年の数字で10年くらい働いてる先輩に勝った。売上高では負けてるけど、粗利で絶対に勝ってる。40万くらい。ぼったくりじゃない、付加価値売りの功績。先輩に出来ない、俺の特技。横着する先輩を逆手にとる戦法。
俺はやるぞ、誇れる人間になるぞ。見ててね天国で、いや極楽浄土で。遺品の機械の整備も任せて。今日は顔見れてよかった。明日もまた死装束状態で会うけど、もう棺の中だよね。知り合い、何人来るんだろうね。全ての新聞に訃報のせたらしいし、地元でも顔広いから、沢山来るんだろうね。誇らしいよ。お疲れ様。これで元気に色んなところに歩いて行けるね。
危篤も死亡の連絡も、全く気づけずに寝ていた。LINEは基本来ることないから、朝起きてても通知を無意識に消してたのか、全然気づけなかった。俺が年始に挨拶に行って会話した数日後に体調悪くなって、飯が美味しいと言って喜んでいた施設から救急車で病院に行っていたなんて知らなかった。退院して特養に戻れると思われてたから連絡来なかったなんて知らなかった。自分の顔見れたのがそんなに嬉しかったの?安心したの?また話したかったな。彼女はできたのか?なんて笑ってたじゃん。あんな会話またしようよ。俺こんなに頑張ってるんだよって話、もっとしたかったよ。自慢の孫になれたかな?また会えると思ってたよ。なんなら手紙を書こうか悩んでいたうちに、亡くなっちゃったよ。あんな笑顔見たら、また会えると思っちゃうじゃん。まだ会ったばかりだし、早いかなとか思ってたよ。帰ってきてよ。またねって俺言ったじゃん。どういう意味がわかってる?ねぇ、俺の記憶を塗り替えてよ。電動車椅子じゃなくて、ちゃんと2足でちゃんと歩いてる姿を見せてよ。俺の記憶にはもうその姿が残ってないんだよ。つかまりながら頑張って歩いてる姿じゃなくて、スタスタ歩いてる姿を見せてよ。お願いだよおじいちゃん。初日の出見るの好きだったじゃん。1年後、また見ようよ。ねぇ、ビール飲むの好きだったじゃん。ゲソを自分で焼いて、めっちゃ濃い醤油で味付けしたツマミ作ってたじゃん。またちょうだいよ。チーズに海苔巻いたツマミ、好きだったじゃん。いつも風呂を4時とか早い時間に入れてたじゃん。バスクリン森の香り入れてたじゃん。固形石鹸で体洗うの好きだったじゃん。ねぇ、起きてよ。お願いだよ、孫が来たんだよ。話そうよ。ねぇ、お願いだよ…。